|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 曲 : [きょく, くせ] 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
「サウスポー」は、1978年3月にリリースされた日本のアイドルデュオ・ピンク・レディーの7枚目のシングルである。 == 解説 == * 自身初のオリコン初登場1位を獲得した。 * ピンク・レディーは、この曲で第9回(1978年)「日本歌謡大賞」放送音楽賞・歌謡大賞を受賞し、第4回(1978年)「あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭」ベストアクション賞受賞。また「FNS歌謡祭」優秀歌謡音楽賞も受賞した。 * 現在でも山本リンダの「狙いうち」(同曲も同じく作詞・阿久悠、作曲・編曲・都倉俊一)などと共に、日本の高校野球の応援歌として定番である。また応援するチームや選手により、様々な脚色が施されている。2014年からは中日ドラゴンズの私設応援団「中日ドラゴンズ応援団」がチャンステーマとして使用している。 * 最初にレコーディングされた作品は都倉による案外地味で大人しいミディアムテンポの曲調で、阿久も別の詞をつけていた。しかし、ディレクターの飯田久彦が「これまでの作品に比べ、勢いがなく、面白みがない」として都倉の新しい曲を持って来て阿久に歌詞の作り直しを願い出た。翌日の夜にレコーディングという予定の中、阿久は深夜から新たな歌詞を創作して当日の午前4時前に完成、都倉による編曲も夕方に完成してレコーディングに間に合った〔東京新聞 2015年9月29日夕刊「戦前・戦中・戦後70年 歌で読むニッポン」(佐藤利明 連載)〕〔CD『続 人間万葉歌 阿久悠作詞集』ブックレット〕。阿久は最初の大人しい曲のまま世に出ていたら、ピンク・レディーの人気の失速のきっかけとなっていたかもしれないとしている〔阿久悠 『愛すべき名歌たち -私的歌謡曲史-』(岩波書店 1999年7月19日) ISBN 978-4004306252 〕。なお作り直し前のものは、CD『続 人間万葉歌 阿久悠作詞集』(ビクターエンタテインメント、VICL-634041~634045)に「サウスポー(未発表バージョン)」として収録されている。 * 歌のモデルとなったのは当時クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に所属していた永射保であり、振り付けの投球フォームがアンダースロー気味なのはそのためである。阿久は前年1977年のオールスターで読売ジャイアンツの王貞治を大きなカーブで空振り三振に仕留めた永射の投球に感銘を受け、この歌詞を書いたという(「魔球はハリケーン」は、他ならぬ王を仕留めたカーブのことである)〔。歌詞に直接名前は出てこないが、発売当時通算本塁打数世界一の記録を作り、時の人となっていた王を連想させる(「背番号1の凄い奴」や「一本足」、「スーパースターのお出まし」など)人物との対決の様子が歌われている。阿久はこの曲がヒットした後、王に会った際、「僕の歌をありがとう」とお礼を言われたという。最初の歌詞には王を連想させる箇所はなかった〔。 * 当時、ピンク・レディーが出演した神州一味噌「即席みそ汁」のCMでは、この曲をモチーフにした雰囲気は似てはいるが違う曲が作られ使用された。セット(野球場を模していた)も衣装もこの曲そのままのイメージであるのに曲だけを変えていた。 * 当時放送されていた「NTV紅白歌のベストテン」では、白組の応援合戦でこの曲を演歌調にアレンジした「演歌サウスポー」が堺正章らによって歌われたことがある。 * 振り付けの一部は、月刊明星の読者から公募したものを採用している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サウスポー (ピンク・レディーの曲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|